1994年 クリスマス島観測隊
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クリスマス島余話(後編) | |
| 坂 翁介
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さて、この島を端から端まで見てみようとの思いから、ブライデン氏に黄色のピックアップ(HP写真、クリスマス島の愛車)を借りることにした話はご記憶のことだろう。戦後原爆テストで駐留したイギリス軍の名残であろう道はコンクリートで舗装され立派だが、ヤシガニが道をぞろぞろと横切っている。走る車輪からは「シャリシャリシャリ」とヤシガニが潰れる音がする。止まっていたらきりが無いので、「ごめんよ」と心の中でつぶやきながら走りつづけた。どれくらい走ったのだろうか、島の端に近づいた。ここが原爆テスト場(HP写真、原爆実験跡)なのだ。コンクリートが広く打たれているが、原爆で壊れた跡は見えない。後で分かったのだが、ここでは係留した飛行船に原爆を仕掛け爆発テストをやったらしい。コンクリートの表面に突き出ている鉄製のフックは係留用のフックであろう、名残なのだ。フックが痛んでいる様子も無い。大きな爆発ではなかったのだろうか。そのような事を思いながら、ふと目をやると「Korean Wreck」という道路標識がみえた。韓国の難破船が打ち上げられた所が近くにあるとの事だろうと思い見に行った。道路から離れ潅木の茂る砂浜を突き進んでいく。砂利道のような感触だった。ちょっと甘く見たのだろう。少し傾斜になった部分にさしかかった時アクセルを踏み込んで登ろうとしたのが間違いだった。後輪がぐっと砂利(砂)に食い込んだ。「あちゃー」といろいろ試みるが、後輪は食い込むばかり。時刻は夕方6時を過ぎていた。ダッシュボードに無線があるが応答なし。万事窮す。このまま、夜明けを待つか、あるいは徒歩で行ける所まで行くか。道は単純だったので、3時間も歩けば町に近づき車を拾える確率は高くなるだろうと思い薄暗くなりかけた道を歩くことにした。頭上では沢山の海鳥がキーキーと鳴きながら舞う。ヒッチコックの映画「鳥」を思い起こすような不気味な場面である。最初は月明かりで道が見えるので安心であったが、そのうち西の空に隠れた。なんとかボヤーと道が見える程度であるが、かまわずすすむ。4時間ほど歩いても道の左右の雰囲気は変わらない。間違ったみちを辿っているのかもしれないという不安が芽生えだしたころ、かすかにヘッドライトの光が見えた。やった、車だ!手を振り車を止めるも、トラックに乗っているのは目が鋭く無口な男4名程度。異様な気配であったが、それでも頼み込み荷台に乗せてもらう。30分ぐらい走ったであろうか、ホテルまで運んでくれた。あの不気味さから、彼らはウミガメ泥棒かそれに近い集団であったろうと今でも信じている。しかし、有難かった。歩いていればあと4時間はかかったにちがいない。ホテルに着いたのは深夜12時前。その日のうちにたどり着けた事を渡辺君(現スイモンリサーチ)と祝って、ぬるいビールで乾杯した。
次の日、ピックアップを砂浜から救出(HP写真:愛車の救助)。無人の原野に太陽電池を電源とする磁力計を設置(HP写真、クリスマス島磁力計設置、計測器の小屋)。これはその後3ヶ月間データ−を取り続けてくれた。とにかく、この島は東太平洋諸島のなかでは南アメリカ大陸に最も近い位置にある。ヤップ、ポナペ、クリスマス島ととにかく太平洋を跨げるだけ跨いで一番東まで行ってみたわけである。この島は、マキン、タラワより東でさすがに日本軍もここまでは来なかったという自己満足にひたりながら、来ない時もあるという週1便のナウル航空のボーイング737をつかまえてホノルルに帰ってきたのはそれから数日後のことであった。その後、ガダルカナルで漁業関係者とクリスマス島の話をした時、「お前あそこに行ったんか!」と言われ、よほどの評判の所だったようで、「知らなかったから行けた」と今でも信じている。
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